ゴールドスミスの預かり証が銀行業の始まりという話は嘘

金融史や経済史において金細工師の預かり証(ゴールドスミス・ノート)の流通が現代の銀行システムの始まりであるという逸話は多くの人々に知られている。

しかし、この魅力的なストーリーは実際の歴史とは大きく乖離している。この記事ではゴールドスミス・ノートの逸話がどのようにして広まり、どの部分が史実と異なるのかを詳しく解説する。

金の預かり証(ゴールドスミス・ノート)が現金になった?

17世紀のイギリスにおいて、ゴールドスミス(金細工師)は金や銀などの貴金属を扱う専門家であり、貴重品の保管場所として信頼されていた。市民は貴重品を盗難から守るために、ゴールドスミスに金を預けることが一般的であった。

ゴールドスミスたちは金を預かる際に「預かり証」(ゴールドスミス・ノート)を発行し、これが預金者の証拠となった。初期の預かり証は単に金の所有権を証明する書類であり、金を引き出す際にはこの証書を提示する必要があった。

次第に、この預かり証が商取引に利用され始め、現金の代わりに使用されるようになった。商人や市民は金を引き出す手間を省くために、預かり証を直接取引の決済に使い始めたのである。これにより、預かり証は金そのものの価値を持つと見なされるようになり、次第に紙幣のような役割を果たすようになった。

さらに、ゴールドスミスたちは預かった金の一部を貸し出し、利子を得ることで利益を上げる方法を考案した。これが現代の銀行業務の原型とされる。彼らは預金者が全員同時に金を引き出すことは稀であることを利用し、預かり証の発行額を実際の金の保有量よりも多くすることで追加の資金を創出し、それを貸し出した。

貸し出しに対しては利子を設定し、この利子収入がゴールドスミスの主な利益源となった。このようにして、ゴールドスミスは単なる金の保管業者から、初期の銀行家としての役割を果たすようになった。これが現代の銀行システムの基礎とされる。

しかし、後述するように、この逸話には史実との乖離があり、実際の歴史的経緯はもっと複雑である。

史実との乖離

ゴールドスミス(金細工師)は保管していただけ

ゴールドスミスが商人や市民から貴金属を預かっていたことは事実である。そして預かった金や銀を証明するために「預かり証」も発行していた。しかし、それがそのまま通貨として広く流通したという証拠は存在しない。

あくまで顧客から預かった金を安全に保管し、その一部を顧客の要求に応じて返却する業務を行っていただけである。

預かり証を発行することで信用を提供したという点は確かに銀行業務の原型の一つであるが、それが直接的に現在の銀行システムに繋がっているという史実は存在しない。

預かり証の流通

預かり証が通貨として流通したという主張は後の銀行券の概念と混同されて広まった可能性が高い。

当時の銀行は各々が銀行券(現在の紙幣)を発行していた。その価値は発行銀行の預金や保有する(正確に計量された)金によって信用が裏付けられていたため、広く流通していた。

一方でゴールドスミスの預かり証は単なる受領証に過ぎず、それ自体が広範な信用を持っていたわけではない。

仮に預かり証が流通していたとしても、国家や銀行による信用保障がなかったため、流通範囲は極めて限定的だった蓋然性が高い。

貸出業務の発展

ゴールドスミスの預かり証が通貨として流通していた証拠がないのと同様に、預かった金を基に貸し出しを行い、利子を得ることを業として行っていたという証拠もない。

そもそも当時のイギリスではゴールドスミスが貸出業務を行うことは法的に認められていない。そのため広範囲かつ反復的に行うことは非常に困難だったといえる。

仮に行っていたとしても非公式かつ非制度的なものにならざるを得ず、金融業として発展するには小規模過ぎるものであったと考えられる。

なぜ誤った説が拡散したのか?

ゴールドスミス・ノートの逸話が広まった背景には金融史の複雑な過程を簡潔かつ理解しやすい形で伝えたいという意図があった。金融システムの発展は非常に多層的であり、多くの専門的知識や歴史的背景を理解する必要がある。

しかし、教育や一般理解の観点からは複雑な事象をシンプルなストーリーに凝縮することが求められることが多い。ゴールドスミス・ノートの逸話はそうしたニーズに応じて作られたものである。

この逸話は以下のような理由で形成され、広まったと考えられる。

  1. 明確な起点の提示:金融システムの発展を説明する際、一つの具体的な起点を示すことで物語としての魅力や教育的効果が高まる。ゴールドスミスが預かり証を発行し、それが通貨の原型となったというシンプルなストーリーは多くの人々に受け入れられやすかった。
  2. 後世の解釈と脚色:歴史的な事実は後の世代によって再解釈され、脚色されることが多い。特に、金融システムのような複雑なテーマにおいては理解を深めるためにストーリーが誇張されたり、単純化されたりすることがある。ゴールドスミス・ノートの逸話も、こうした過程を経て神話化したものの一例である。
  3. 教育的ニーズ:教育の場において、複雑な経済史を教えるためにはある程度の単純化が必要とされる。ゴールドスミス・ノートの逸話は金融システムの基本的な考え方を伝えるための便利なツールとして使用されてきた。このようなストーリーを通じて、学生や一般の人々に対する理解を促進することができた。

実際の銀行業務の発展

実際の銀行業務の発展は非常に多くの要因が絡み合って進行した複雑な過程であった。以下に、いくつかの主要な要因を詳しく説明する。

  1. 中世ヨーロッパの商業活動の拡大:中世後期からルネサンス期にかけて、ヨーロッパでは商業活動が大いに拡大した。交易の拡大に伴い、商人たちは遠隔地との取引において安全かつ効率的な決済手段を必要とするようになった。このニーズに応じて、信用状や手形といった初期の金融商品が発展した。
  2. 国家による貨幣制度の整備:各国政府は経済活動の円滑化を図るために貨幣制度を整備した。統一された貨幣が導入され、貨幣の信用性が高まることで経済活動の基盤が強化された。特に、金本位制の確立は通貨の価値を安定させ、金融システムの発展を支えた。
  3. 信用制度の発展:信用制度の発展は現代の銀行業務の基礎を築いた重要な要因である。商人や銀行家は信用を元に資金を貸し出し、利子を得ることで利益を上げた。これにより、資金の流動性が高まり、経済活動がさらに活発化した。
  4. 銀行の制度化:初期の銀行は主に商業活動を支援するための機関として発展した。イタリアの都市国家(例:ヴェネツィア、ジェノヴァ、フィレンツェ)では初期の銀行が設立され、預金や貸出業務が行われた。これらの銀行は国家や都市の経済活動を支える重要な役割を果たした。
  5. 中央銀行の創設:17世紀後半から18世紀にかけて、中央銀行が設立された。イングランド銀行(1694年設立)はその最初期の例である。中央銀行は国家の金融政策を管理し、通貨の安定を図る役割を担った。これにより、金融システム全体の信頼性が向上し、銀行業務の発展が促進された。

これらの要因が相互に作用し、現代の銀行業務の基礎が築かれた。ゴールドスミス・ノートの逸話はこの複雑な発展過程を一つの物語として単純化したものであり、金融史の全体像を理解するためにはより広範かつ詳細な視点が必要である。