ジェシー・リバモア:ウォール街の大暴落に賭けた空売り

「ウォールストリートのグレートベア」の異名を持つ、ジェシー・ローリストン・リバモアはアメリカの伝説的な株式投資家である。

彼の投資哲学と市場への独特なアプローチは現代のトレーディング技術やリスク管理の手法に多大な影響を与えている。

リバモアの生涯は巨万の富を築きながらも波瀾万丈に満ちており、今も多くの投資家や経済学者にとって魅力的な研究対象となっている。

初期の生活と株式市場への関心

ジェシー・リバモアはマサチューセッツ州サウス・アクトンの貧しい移民の家に生まれた。彼は若い頃から数学に興味を持ち、特に計算が得意だった。14歳で学校を辞めたリバモアはボストンの証券会社に雇われ、そこで掲示板に株価を記載する仕事などを行っていた。

この仕事を通じて、彼は株価の動きを観察し、その変動パターンを学び始める。リバモアは間もなく、自らも投資を始めるようになり、若くしてその才覚を発揮することとなる。

やがて違法なバケットショップ(株の値動きに賭けるギャンブル)で勝ち続け「Boy plunger(若き無謀な博徒)」と呼ばれるまでになる。

彼は利益が乗ってきたらさらに取引量を増やし、より大きな利益を狙う「ピラミッティング」とう手法を用いて、どんどん資産を増やしていった。

ウォール街の大暴落に賭けて空売り

リバモアのキャリアには数多くの特筆すべき成功があるが、その名声を不動のものとしたのは1929年のウォール街の大暴落である。

1920年代後半、アメリカ経済は絶頂期にあり、株価は天井知らずに上昇していた。しかし、リバモアは市場の過熱と過剰な投機を見抜き、いずれ大暴落が訪れると予見していた。

1929年9月、リバモアは巨額の資金を使って空売りを開始する。そして、10月29日、ブラックチューズデーと呼ばれるこの日に、株式市場は歴史的な大暴落を迎えた。

リバモアはこの日を含む数週間で推定1億ドル(現在の価値で約15億ドル)もの利益を上げた。この成功により、彼は「Great Bear of Wall Street(ウォールストリートのグレートベア)」として広く知られるようになる。

投資哲学とトレーディングスタイル

リバモアの投資戦略は主に市場のトレンドを読み解くことに基づいている。彼は自ら「テープを読む」と表現していたこの技術で株価の微細な動きを捉え、大きな市場の転換点を見極めることに成功した。具体的にその戦略を見ていこう。

テープ・リーディング(市場の動きの読み取り)

リバモアの時代には電子チャートや先進的な市場分析ツールは存在しなかった。彼は「テープ・リーディング」と呼ばれる手法を用いて市場の動向を読み取っていた。これは実際の株取引がプリントされるティッカーテープをリアルタイムで見て、価格変動や取引量の変化から市場の感情やトレンドを読み取る技術である。リバモアはこの情報を用いて、市場の強さや弱さを判断し、それに応じた投資判断を下していた。

トレンドフォロー

リバモアは「市場は常に何かを告げている」と考え、その「何か」を解読することに全力を尽くした。彼は市場の主要なトレンドに注目し、その流れに沿って取引を行うことを重視した。株価が上昇トレンドにある場合は買い持ちを強化し、下降トレンドの場合は空売りを多く行った。彼はトレンドに逆らうことなく、その流れを利用することを一貫して実践していたのである。

ポジション・サイジングとリスク管理

リバモアはポジションのサイズを市場の状況に応じて調整することでリスクを管理した。市場が彼の分析と一致している場合には積極的にポジションを増やし、逆の場合には迅速に撤退して損失を最小限に抑える戦略を取った。彼は「損切り」の重要性を強調し、損失が拡大する前にポジションを解消することで手持ち資金を保護することに努めた。

市場サイクルと心理学の理解

リバモアは市場のサイクルと投資家心理に深い洞察を持っていた。彼は市場が過剰な楽観や悲観に陥る時期を見極め、その心理的極点を利用して取引を行うこともあった。このため、彼の取引スタイルはしばしば逆張りの要素を含んでおり、他の投資家が恐れている時に買い、欲張っている時に売るという方法を取っていた。

継続的な学習と適応

ジェシー・リバモアは自身の成功と失敗から学び続けることで知られている。彼は市場の変化に対応するために常に自己の手法を見直し、改善していた。また、新しい市場環境や金融商品に対する理解を深めることにも力を入れた。

人間関係と晩年

富と名声を手にしたリバモアだったが、決して平穏な人生ではなかった。財政的な危機に繰り返し見舞われ、何度も破産し、巨額の借金を背負うことにもなる。

私生活ではリバモアは三度の結婚を経験したが、そのいずれもが複雑なものだった。彼の生活スタイルは豪華で派手なものであり、その生活を支えるには常に莫大な費用が必要だった。

1940年、彼の財政状況は大きく困窮し、これに伴い精神的にも崩れ始め、うつやアルコール依存に苦しんだ。彼はその年の11月にニューヨークのシェリー・ネザーランドホテルで自らの命を絶つ。

彼の死は金融界に大きな衝撃を与えた。

遺産と現代への影響

ジェシー・リバモアの投資手法はそのシンプルさと実行の難しさの両面で知られている。市場を深く理解し、その動きに柔軟に対応する彼のアプローチは現代のトレーダーにとっても非常に価値のある教訓を提供しているといえよう。

また、リスク管理に厳格で損失を最小限に抑えるためにポジションを迅速に切り替えることができる柔軟性を持ち合わせていた。

彼の経験から学ぶべき点は多く、特に市場の心理やトレンドの重要性に関する彼の見解は現代の金融市場分析においても有効なものである。

リバモアの教訓は経済の教科書や投資のセミナー、トレーディングのコースでしばしば引用され、彼の生涯とキャリアは数々の書籍や映画で描かれている。